寒い冬が終わり、春になると外の世界はぱっと明るくなるような気がしませんか?
桜、チューリップ、新緑の木々など目に入るものが明るく気分も上向いてきます。
そんな景色を見ていると、一句読んでみようと思ってしまうものです。
そこで、春の短歌や俳句の例などを見てみましょう。
春の俳句・短歌について
さて、日本の文化である短歌や俳句、いざ作ってみようと思っても、
いろんな決まりがあって難しいと思っていませんか?
まずは短歌と俳句の違いから確認しておきましょう。
短歌と俳句は昔からよく作られていました。日本文化を代表するものだと思います。
短歌と俳句は「定型詩」と呼ばれています。定型詩とは文字数が厳密に決められている詩のことです。
どちらも定型詩ですが、大きな違いがあります。
それは文字数と季語の有無です。
短歌は五・七・五・七・七の合計三十一文字で作られる詩を指します。
俳句は五・七・五の合計十七文字で作られる詩を指します。
文字数はこのように決められていますが、あとは季語の有無です。
短歌は、季語必要なし
俳句は、季語が必要
俳句は文字数が少ないうえに季語が必要なため自由度が少なく作るのが難しいです。
俳句で春の季語とは?
春の季語にもたくさんあります。
たとえば、桜・椿・チューリップ・菜の花など花や植物などもありますし、カエル・おたまじゃくし・うぐいすなどの動物や虫、魚なども季語になります。
また、季節の行事ごとなども季語になります。卒業・入学・ひな祭りなど3月4月のイベントは季語になります。
一方で短歌には季語は必要ありませんが、やはり文字数が多いのでしっかりおさまるように作るのが難しく感じます。
百人一首にある春の短歌
短歌といえば、百人一首は短歌ですね。私は百人一首がとても好きでその中でも特に好きな歌があります。
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ」
この句の意味は、
「川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれます。しかしまたひとつになるように愛しいあの人と今は分かれていてもいつかは再会できると思っている」
という意味です。
恋の歌なんですが、昔ドラマで使われていたこともありそれ以来好きな短歌となっています。
このように、短歌は季語が必要ないことから恋の歌などがよく歌われています。俳句だとどうしても季語を入れないといけないのでなかなか気持ちだけを表すような句は作りにくくなります。文字数も少ないですからね。
短歌で春を表現した有名作品例
先ほども触れましたが、短歌と言えば百人一首です。その中にも有名な春の短歌がたくさんあります。
「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」紀友則
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほいける」紀貫之
「いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほいぬるかな」伊勢大輔
百人一首を読むとその情景が目に浮かぶようです。この歌に歌われているところを巡る旅をしている友人もいるくらいです。
春の短歌の現代版作品の数々
有名な作品はたくさんありますが、最近の歌人といえば俵万智さんを思い浮かべる人も多いのではないでしょか。「サラダ記念日」は有名ですよね。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
この短歌を見ても、短歌がいかに自由度が高く日常を表現することができるかがよく分かりますよね。
そんな俵万智さんの歌の中から春の短歌を少し紹介いたします。
現代詩の代表格・俵万智さんの作品
「さくらさくらさくら咲き始め咲き終わりなにもなかったような公園」
「早春のアンビバレンス日記にはただ∞の記号をしるす」
俵万智さんの短歌はとても面白いものが多く興味深く読むことができました。
まとめ
いかがでしたか。
俳句や短歌は難しい!と思われがちですが、トライしてみるのも面白いものです。ぜひ作ってみてくださいね。
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